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生活保護が認められず借金生活となる親子。

 

乱暴とは存じますが3行でまとめると、
・母の介護を自分で背負った男性
・生活保護が認められず借金生活となる
・母と共に死ぬことを図ったが、自分だけが生き残った

そんな事例があります。

男性が、認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件がありました。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというものです。
男性は母を殺害した後、自分も自殺を図りましたが発見され一命を取り留めたとの事。
男性は両親と3人暮らしでしたが、10年前に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護していました

母は事件の一年前から昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行していました。
男性は休職してデイケアを利用していましたが介護負担は軽減せず、5ヶ月後に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められませんでした。
介護と両立できる仕事は見つからず、半年後に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
年が明けた寒空のもと心中を決意した。

「最後の親孝行に」
男性はこの日、車椅子の母を連れて京都を観光し、河川敷の遊歩道で
「もう生きられない。此処で終わりだよ。」などと言うと、母は
「そっか、もうだめなのね。(男性の名前)、一緒だからね」と答えた。
男性が
「ごめんな」と謝ると、母は
「こっちにおいで」と呼び、男性が母の額にくっつけると、母は
「(男性の名前)はわたしの子。わたしがやってあげる」と言った。
この言葉を聞いて、男性は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図りました。

冒頭陳述の間、男性は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もありました。

裁判では検察官が男性が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返っていました。

 

悲しすぎますね、切ないです。

 

この認知症の母殺害した事件。承諾殺人罪に問われ、有罪判決を受けた男性は、琵琶湖で命を落とした。親族によると、自殺とみられます。

 

地裁はこの男性に懲役2年6月、執行猶予3年(求刑・懲役3年)を言い渡しました。

裁判官は「裁かれているのは日本の介護制度や行政だ」と男性に同情した。男性も法廷で「母の分まで生きたい」と約束した。

 

それから約8年。この男性はどう生活していたのか。親族らによると、男性は裁判の後、家賃約2万2000円のアパートで1人暮らしを始め、木材会社で働いていたそうです。

 

部屋には母親と事件前に病死した父親の位牌(いはい)を安置する仏壇を置いていましたが、事件のことを口にすることはなかったそうです。勤務先の同僚は「真面目に黙々と仕事をこなした。」近所の男性は「誰かが訪れるのを見たことがない。孤独だったのでは。」と話していました。

 

そして「会社をクビになった」と親族に伝えたのを最後に、連絡が取れなくなりました。自宅にも帰らず、行方が分からなくなったのです。親族が警察に行方不明者届を出しましたが、琵琶湖畔で遺体で見つかりました。その日の朝、男性とみられる姿を琵琶湖大橋から湖に飛び降りるのを目撃した人がいたという。

 

「彼は最後まで孤独から抜け出せなかった。」親族は無念さをにじませます。長男が亡くなる際に身に着けていたカバンには、自分と母親のへその緒、そして「一緒に焼いて欲しい」というメモ書きが入っていたそうで、所持金は数百円。預金はありませんでした。

介護殺人はその後も加害者に心のダメージを残し、社会復帰にも壁が待っていることがわかります。

 

 

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